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Siesta Eterna

くらし / 思い出の20世紀

カッパの飼い方

193_2 貸本漫画で育った世代。週刊誌も貸本。一冊借りて10円だったか。少年雑誌が数十円の時代。
本屋もパン屋と煙草屋を併設してたり、今様の一種のコンビニ。店名よりもそこの家の名前で呼んでたような。

今はアニメと云われる漫画。マイブームな「カッパの飼い方」は、人の顔がずんべらぼん。「えらい漫画やなぁ」と思ったものの、見慣れればどうということはない。

ありえない設定ではあるものの、なんとなく20世紀的のんびりムードで、スローな漫画。漫画に描かれた空想の世界に浸ることで、日常を暫し忘れ、読み終えると何となくリフレッシュしたような気にさせてくれます。
 

うらなり

547 多分初めて読んだ小説が「坊ちゃん」。挿絵も面白くて、それからもよく読み返した。

うらなり君のイメージが洋梨で、小説には唐茄子とあるけれど、初めて見た下膨れの蒼いものが洋梨だったからか、それとも子ども向けの本の挿絵が洋梨のようだったのか。

未だ洋梨を見ると、天ぷら蕎麦と団子を連想する。
 

ゲーム今昔

706 年末年始、子ども的には冬休み。今も昔もゲーム三昧。TVゲームの無かった昔は、カードかボードゲームが定番。シンプルなダイヤモンドゲームやチェッカー。将棋、チェスができるようになると、ちょいとお兄ちゃん。ワタクシ達の子ども時代に人生ゲームが登場。

神戸三宮のセンタープラザ地下、現在「わしたショップ」があるところに、昔は電電公社のショールームみたいなのがあって、当時としては画期的なオンラインサービスのDEMOS(販売/在庫管理システム)、DRESS(科学技術計算システム)のデモ用TSS(タイムシェアリングシステム)端末が置いてあり、DRESSでオセロゲームのサービス。
相手が大型コンピュータとは云え、1970年代当時はメモリは数MB、CPUはペンティアム程度の速度ですから、子どもと云えども五分五分の勝負。

1997年にチェスの世界チャンピオンを負かした、スーパーコンピュータ「ディープ・プルー」(IBM社製)。対戦相手の過去の棋譜を元に、1秒間に2億手まで先読み。ある意味、気象予測と同じで、現在の情報と過去の情報からその後の変化を予測する、膨大な情報を高速に計算、分別する力業で勝つスーパーコンピュータ。

対戦ゲームの面白さは、ブラフもありの相手とのかけひき。初期のコンピュータ(と云うかプログラム)では、そんな心理的な面は考慮されていませんでしたから、とんでもない手を打つとコンピュータはその手が何故打たれたのか(評価関数による結論の矛盾)を解決するため、理論的に正統な答えを求めて再計算を繰り返す(無限ループ状態)ことなり、人間で云うところの「?」で考え込んでしまう状態。

件のDRESSでも、負けそうになったらとんでもない手を打つと、システムは応答しなくなり、CPU利用制限時間を越えてゲームは終了、画面はプツンと切れるだけ。シンキングタイムオーバーで負けは負けなんだから、ワタクシ的には「マイリマシタ」と表示して頂きたかったのですね。
 

ジュークボックス

793 懐かしさのあまり、とりあえず1コイン入れて鳴らしてみたジュークボックス。大阪万博(1970年)頃のものかと思われますが、ちゃんと動く。4曲100円也は、当時の値段のままか。コーラが1本35円だった頃。

ウォークマンが登場し、MDになり、ポッドになって、今や音楽は持ち歩く時代。
音好きには、アナログレコードや真空管アンプが人気のようではありますが。

選曲は矢沢永吉「時間よ止まれ」。
今じゃYouTubeeyeglassで映像付きで聞けちゃうんですけどね。
 

昭和の日曜日

987 週一日しか休みのなかった昭和時代。

日曜日の朝は「兼高かおる世界の旅」でおめざ。淡路のおのころアイランドに記念館がございます。
昼餉の後は「TVジョッキー」。奇人・変人コーナーで、耳が動くだけで白いギターもらえたりしてた。ワタクシはセパレートで動かすことができる。
夜は「泣いてたまるか」。「週刊新潮は只今発売中~」の後に流れる赤とんぼのメロディがもの悲しく、それに続いて「そ~らが泣いたらあ~めになる、か~わが鳴くときゃ水がでる~、お~れ~が泣いても~なんにもでな~い~・・・」と、これまたもの悲しい主題歌。
日曜洋画劇場の洋酒のCMが「オロンドンビランデシュビラデン、オデ~ンニア~・・・」(と聞こえてた)と、これまた物憂い雰囲気で、このメロディ聞くと日曜日ももう終わり。

「すばらしき世界旅行」の主題歌は「この木なんの木気になる木・・・」。昔はかなり遅い時間で、それが終わったら就寝。その前にあった「知られざる世界」が、毎週驚嘆の世界だった。ちょいと怪しい話もあったりして、SFチックなのがよかった。

TV番組しか思い出さない、昭和の日曜日。

昭和の土曜日

988 土曜日は半ドンだった昔。
鯨肉、脱脂粉乳、コッペパンの給食。チクロ、サッカリン、PCB、光化学スモッグが席巻し、アポロが月へ行き、歩行者天国ができ、テレビは総天然色(カラー)になった。
平成生まれは今年成人、今は昔の懐かしい昭和の時代。

学校が終わると走って帰り、100円もらってお好み焼き屋へ。たこのお好みとラムネで15円のお釣り。モダン焼きはまだ食べきれなかった。焼き上がるまでマンガ雑誌を読むのが楽しみでもあり、混んでて並ぶとマンガをたくさん読めるからそれはそれでよかった。

食べ終わって家に帰ると、よしもと新喜劇。土曜日は「プンワカプンワ、プンワカプンワ、プンワカプンワカプ・・・」で、CMはどこだったか忘れた。これが日曜日になると、「プォンポプォンポポンポン、プォンポポポンポポン・・・」で、CMはサモン。休みのお父さん向け。

平参平、白木みのる、ルーキー新一、岡八郎、船場太郎、花紀京。巡業だったのか、神戸国際会館で生を見た。子どもがマネするほど強烈な個性の芸人も多かった。パソコンもゲーム機も無く、ゆっくりした時間の流れていた時代。

土曜の昼下がり。
ふと、青海苔いっぱいのお好み焼きを食べたいと思う今日この頃。

タイプライター

228_3 昔欲しかったタイプライター。別に何するわけじゃなく、パチパチと鳴るのが面白かった。まだ新製品であるのかとググッてみると、やはりその道のマニアはいるようで、復刻版の手動タイプライターがある。

電動タイプ(パンチテープ作成用)を使った時、タイプボールが目にも止まらぬ速さで刻印するのが面白く、音もキーを押すとバチッと豪快な音で、連続で打てばダッダッダッダッダッと、いかにも職人的な感じがしてよろしい。

227_2 これがディスプレイになり、キーボードの打鍵音はするけど、パコッパコッなんて音で、なんかイマイチ操作してる実感がない。ならいっそのこと、スタートレックみたいにタッチパネルになればいいのにと思う。

ラップトップワープロは確かに重宝したし、ノートワープロは出先でパソコン通信もやってた。アナログ電話で2400bpsの時代。

眠ってるワープロ、ここで引き取ってもらえばいいかも。
(売れるんだろか?)

カラオケ

Vzawa1ha昔懐かし番号指定のカラオケ。手書きだけどレーザーディスク、テープじゃない。今じゃオンラインで、カラオケボックスと同じシステムのカラオケ。「Tの3番」なんてリクエストする、8トラックテープが懐かしい。

お酒を知った頃はカラオケが登場した後ですが、バンド演奏もまだ残っていた時代で、そんなお店に行くと有名人が歌ってたりした。野球選手が結構多かったでしょうか。

さて、このインデックスを見て何を歌おうと思ったんでしょうか。多分「街の灯チラチラ・・・」(by 堺正章)だと思うんですが、「飲ませてくださいもう少し・・・」(by佳山明生)なんてことだったんかも。

酔っぱらうと曲名も忘れてしまい、イントロのフレーズだけしか思い出せないので、イントロで検索できると大変便利です。(そんなんあったっけか)
 

プリントゴッコ32年

Vzawa1ha年賀状が家庭で簡単に印刷できたプリントゴッコ。デジタル化の波に呑まれ、先週(2008年5月30日)販売終了。

プリントゴッコが登場したのは1977年。当時、試験問題を刷るのにガリ版、コピーは青焼き(ジアゾ式複写機)を使ってた。輪転機は手回しで、紙を引き込むのに一回転させては少し戻す職人的な技も必要だったか。今は昔の話。

翌年からワープロ専用機が登場し、1980年代になると低価格化し、ラップトップタイプも登場。PC/AT互換機(俗に云うDOS/Vマシン)、ワープロソフト、そして年賀状ソフトの登場で、年賀状もパソコンで印刷する時代に。カラーインクジェットプリンタの普及が大きいかも。年賀状ソフトも今やフリーのソフトがある。

プリントゴッコ、一度だけ使ったことがありますが、インクのせるのがなんとなく職人的で、面白かった。
まさにプリントごっこでしたね。
 

門松

Dfxjdu9s この正月、なんとなく久しぶりに見たように思う門松。街中ではもう置く家も少なくなり、小松を飾る程度。

文化的なつながりが薄れていく街中ですから、風習的なものも世代とともに失いつつあります。国旗も持ってないのが普通のような21世紀。

「年の始めの例(ためし)とて・・・」と今年は生田さんで年賀の会にて歌いました。二番まで歌わされたのは初めて。歌詞はあってもしどろもどろ。

「初日のひかり さしいでて、四方(よも)に輝く 今朝のそら 君がみかげに 比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊とけれ」

実はこれ、歌の題云われた時に「?」だったんですね。歌詞を見て「あぁ、これが題名か」と知った次第。(小学校で習ってるはずですが)

題名、知ってますか?
 

愛機 ・・・ biz

2isyeex0 20世紀に我が愛機だったカプセルカメラ。買ったのは20年ぐらい前。当時としては、かなり斬新なデザイン。

フラッシュが分離する、云わばトランスフォームタイプ。昼間はポケットに入れてて、どこでもカシャ。フィルムはISO400使ってましたね。夜景なんて難しかった。

まだ使えますから、もったいなくて捨てられない。
 

インターネットは噂がお好き ・・・ biz

Cribipgo とある懇親会での参加者との会話。

参「2012年て何の年か知ってますか?」
H「東京オリンピック」
参「ちゃいます」
H「白熱電球使用禁止(カリフォルニア州)」
参「へ〜、でもちゃうなぁ」
H「神戸で京速スパコン稼働」
参「それもちゃうなぁ」
H「なんですかねぇ」
参「地球滅亡の年」
H「あぁ?」

2012年、フォトン・ベルトとやらで地球が滅亡するのだそうです。以前にも聞いたことがある。

H「ほな、宇宙戦艦ヤマトの出動ですね」
参「・・・」

シャレは通じませんでした。
「インターネットにも出てることなのに知らないのか」と云われてしまう。

1970年頃だったでしょか。小惑星イカロスが地球に大接近するとのことで、連日新聞に情報。「接近時に地球の大気が奪われる」そうで、酸素ボンベ売り出しなんてのがあったように思う。それから1999年12月で地球滅亡の話。最近のお話では2029年に小惑星衝突の可能性。科学的知識の少ない一般市民にとっては、SFちっくなお話があるある話になってしまう。

2012年は光の帯の中に地球が入ってどうにかなるそうで、光が帯状になってるところからSFちっくな話になっております。反物質とか、ダークマターとか、もう少し本物らしい物体に登場して頂きたい。

インターネットの情報が全て正しいと思ってるところが、既にSFちっくでございますが。
 

made in japan ・・・ biz

Jbnzpgrb 三徳ナイフとは云いませんな、これは。独り暮らしする時に先ず買ったもんですが、今じゃこれを使うことが稀。

買ったソースの缶詰が、古典的なプルトップのないもので、缶切りを探すが見当たらない。仕方ないので、ドライバーと金槌で開ける。

昔も百円ぐらいのもんだったんでしょうけど、ひとつ買っとかないとなぁと、百均に行くとございました。しかも made in japan。
このようなモノに関しては、日本の方がまだまだ市場競争力あるのかと考えつつ、刃先を見ると少し曲げてある(缶の曲線に沿うように)ところに、「さすが日本製」と関心してしまいました。
 

カワサキラケット

2sjcwrrc 片づけをしてると、毎回何か発見、いや発掘がある。そして「懐かしいな〜」と手が止まってしまい、新年になっても片づかなかったりする。

今は昔の軟式庭球(ソフトテニス)ラケットメーカー、カワサキラケット。名器(と云うのか?)「ナンバーワン」、ちょい高級だった「エリート」、そしてカーボングラファイト合板を初めて採用した「ディフィ」。ナンバーワンだけで何本買ったことでしょう。これはニューモデル(多分1970年代後半モデル)で、オリジナルモデルはもう少し丸みがあった。初めて買ったのがオリジナルモデルのナンバーワンで、3000円しなかったかも。ガット(鯨筋)は500円。捕鯨問題が云われだしたころで、代替品にオイル入りシープなんてのもございました。

日の出前に起きて朝練して、弁当もそこそこに昼練もして、休みは盆と正月だけ。
ボールを打つのは「技術」じゃなくて、「根性」の時代でございました。
 



IPT ・・・ biz

Lyestdrr 構造化プログラミングを解説したIPT(効果的プログラム開発技法)。1980年代当時はこれがプログラミングのバイブル。

本棚に一緒に並べてあったSE手帳。FACOM Mシリーズ用。歴代使ったFACOM。230-10、25、38、M-150F、340、760、それに1980年代でコンソールにはプラズマディスプレイ使ってた、Vシリーズも。オレンジ色のにくいやつ。
パソコンもFMVシリーズになる前のBABCOM(磁気バブルメモリ搭載)。サラリーマン退職するときに買ったのがG-150(だったか?)。UNIXもどきのワークステーション。

パソコンしか知らない世代は、MS-DOSがそもそもDOS(IBM)から派生したことを知らない。WindowsとOS2の関係、DOS/VSやVSE、MVSを知ってる人には、Windowsは昔取った杵柄みたいなもの。
初めて横浜でTech.Ed開催された時も、基調講演だったかで「我々はメインフレームのエンジニアにWindowsを活用頂きたい」と云っておりました。まだWindows3.1、NTも3.1か3.51だったか。

なんだか遠い遠い昔の話のようです。
 

構造化プログラミング ・・・ biz

3qgbv5xb デスクを整理する度に「あ〜、こんなんあったな〜」と出てくる20世紀の遺物。一昨年はこんなん出てきて、暫し感慨に耽っておりました。初ボーナスで買った高価なおもちゃ。

今回出てきた、業界の人間にしか分からんシロモノ。上の二つは標準的なフローチャート用テンプレート。下はYPS(YAC II Programming System、富士通)で使ってたテンプレート。「は〜、懐かし〜」と云ってしまいます。

構造化プログラミングのフローは手書きじゃなくて、専用のエディタを使用。そのフローからプログラムとしてコンパイルできる優れもの。SPD(同様な構造化プログラミングシステム、NEC)も使ってたんですけど、そのテンプレートはどっかいってしまった。

なかなか優れものだったですけど、この辺りは今どうなってんでしょうね。COBOLはANSI1985年規格、FORTRANは1977年規格までは知ってますけど。
 

玉子

Latroogs 昔のこと思い出しついでに、玉子なお話。

暗くなるまで公園で走り回って、家に帰ると「玉子買ってきて」とお使い。市場に行くのは好きだったけど、籠を持たされるのが女の子みたいでイヤだったから、ランドセルみたいにしたり、頭に被ったりして、夕暮れの中、近くの市場の玉子屋へ行く。

間口一間ぐらいの小さな玉子屋が近くの市場の中に三軒ぐらいあって、浅い木箱におが屑敷きつめた上に玉子が並んでる。左の木箱から8円、9円、10円と15円ぐらいまであったか。だんだん大きくなるのと、高いのは赤玉。選んだのを青いビニールの籠に入れていくんですね。

いつも「100円で10個」のお使いなので、大体がおぢさんに頼めばいいようなものなのですが、子ども相手だから古いのを選んだりするから、「殻のザラザラしたのが新鮮」と教えられて自分で選るんですね。10円のばかりだと簡単なのに、隣の9円のが同じ大きさだったり、10円にザラザラしたのがなかったりして11円を入れたりで、都合100円にならない。

10個入れた青いビニールの籠をおぢさんに渡すと、ひとつずつ裸電球に透かして確かめる。中がひよこになってないか確かめてるものだと思ってて、本当のところは今も知らない。
後に灘辺りの市場で、スーパーと玉子屋の値引き合戦なんてのがあって、その頃からだんだん玉子屋を見なくなりました。

なんで玉子を電球にかざしたのか、もう聞く人もいないと思ってたら、三宮駅近くのオフィスは昔の問屋街で、すぐ近くに今もおが屑に玉子並べた玉子屋が現存。
今度玉子買いに行って、何故電球にかざすのか聞いてみようと思っております。
 

ケンミンのビーフン

Mbb2myui エスニック料理がひとつのジャンルになったのはいつからでしょうか。飲食店のガイドブックを初めて見たのが1980年。アジアとか、各国料理だった。

ビーフンと云えばケンミン。国内シェアの80%程度だそうです。ワタクシ的にはビーフンと云えばかくれんぼ。

昔住んでいた家の近くにケンミンの倉庫があり、かくれんぼではいつもその倉庫に隠れる。二階建ての体育館みたいな二階がギャラリーになってて、フォークリフトがあって荷物を出し入れしてる。仕事中なのに子どもがうろちょろしても、あまり叱られた覚えがないし、土日も倉庫が空いてて、荷物の出入りが無いときには自由に出入りしてましたよ。

おおらかな昭和四十年代のお話。
 

文字放送

Agu3otvq 買ってかれこれ20年にはなる「文字放送対応」の横長テレビ。当時としてはかなり最先端。

久しぶりに文字放送見てみると・・・。
指定の番組が出ません。つまり、放送していない。

インターネットが普及し、簡単に情報が得られるようになるといつかはお終いになるとは思っていましたけど、そろそろその時期か。5年後のアナログ放送が終了までに各番組は順に閉鎖か。

二画面でテレビ、横長のハイビジョン放送を見ることはできるのですが、これを置くためだけにどでかいサイドボードが必要。壊れたら液晶通り越してこれにするつもり。
 

ダイヤル式電話機 ・・・bnh

Hdguq7l9 関西どっとコムの「古屋荘太のビット思考」にて黒電話。抽選でもらえるのだそうな。スタイル的にはかっちょいいUSB電話。メッセンジャーでも使えるんやろか。

昔の電話機は「ジーコッコッコッコッ、ジーコッコッコッコッ」じゃなくて、「ジーコココココ、ジーコココココ」だった。ダイヤル廻すのも軽いけど、戻りもスカッと早い。このためカウントミスをして間違い電話なんかになったりする。

日本のコンピューターメーカーで天才と呼ばれた技術者がおりました。現在の汎用型コンピュータの基礎を築いたのは、当時IBMにいたジーン・アムダール。設計されたSystem360が今のパソコンも含む商用コンピュータシステムの原点。そして370、370XAと発展し、DOS、VS、64bit拡張アーキテクチャ、マルチプロセサ、TCM(水冷によるサーマルコンダクションモジュール)などを1960〜70年代に生み出しました。
「コンピュータのCPUはプログラムカウンタにより逐次的にメモリからプログラム命令を取り出して、解読・実行している。これをノイマン型コンピュータと云う」と教えたりしていますが、これは間違い。まずフォン・ノイマンはこの設計をしていない。いわゆるノイマン型コンピュータを設計したのはプレスバー・エッカートであり、プログラムカウンタを考案・実装したのは池田敏雄である。

当時「マンハッタン計画(原子爆弾開発における核爆発時の放射線拡散計算のために、人類最初の電子計算機ENIACを開発)」の主任技術者エッカートは、外部から配線によりプログラムを指示するENIACの欠点を補完する方式として、主記憶装置として水銀遅延タンク(細い水銀タンク内で超音波を周期的に保存することでデジタル情報を記憶する装置)による、プログラム内蔵方式の「EDVAC」を考案したものの、国家機密(ENIAC開発完了は1945年、公表は戦後の1946年2月)であるため発表できない。この仕組みを聞いたノイマンが勝手に論文発表したことから、「ノイマンの発案によるもの」とされたことで後に裁判にも発展。このため最初のプログラム内蔵方式はケンブリッジ大学が「EDSAC」として開発してしまった。

池田敏雄は科学の発展のために、プログラムカウンタに関する特許を取得せず、この技術を他社にも公開した。おかげで命令と情報のアドレスと次の命令のアドレスを持っていた「可変アドレス方式」は、命令と情報のアドレスのみを持つ「固定アドレス方式」となり、記憶装置における管理は一挙に単純化されることとなった。全てのコンピュータ設計者は自由にプログラムカウンタを使用でき、結果仮想記憶方式やパイプライン処理、判定命令の予測分岐が可能となった。

池田は富士通の前身である通信機会社「富士通信機製造」で、電話のダイヤリングの改良として「調速装置」を考案。現在見る黒電話はこれを使用しているから「ジーコッコッコッコッ」と緩やかにダイヤルが廻ってカウントミスがないのですね。

同社は戦後米国から安い電話機が輸入されるようになって事業が縮小、社運をかけた判断として池田を中心とした技術者チームによるコンピュータ専業へ踏み切る決断がなされたのは、大阪「美々卯」での会合だったそうです。
 

大阪万博で垣間見た21世紀

S4bpn4ei アイデアル、パルナスの時代にあった大阪万博。
テーマは「人類の進歩と調和」。
でもあまりの人出に「人類の辛抱と長蛇」と云われた。

動く歩道に月の石、21世紀の人間洗濯機、そして何よりびっくらこいたのは無線電話。
電電公社(現NTT、人によってはミカカとも云う)は未来の電話として受話器にアンテナのついた電話を展示。そして入館者に実際に使わせてくれた。コードレスホンなんでしょうけど、21世紀にはひとりに一台携帯するようになると云われて、「へぇぇぇぇぇ」と感動いたしました。
お試しコーナーはひとりづつ天井からぶらさげた未来的な椅子に腰掛け、使わせて頂く無線電話はオレンジ色(だったように思う)で、家庭用は黒電話、公衆電話は赤と青の1970年には、とってもお洒落なカラー。

会場の吹田から家(神戸)に電話して、田舎(京都)にもかけました。市外通話が今から考えるとべらぼうに高かった時代。神戸から京都が1分で60円ぐらいだったでしょうか。海外なんてとんでもない金額。市内通話も3分10円だけど、アンパン15円だから高かった。今じゃシアトルにかけても1分6円です。

21世紀は世の中ガラリと変わると思ってた小学生時代。
技術は進化し、コンビニで便利になり、ビジネスもITで早くなりましたけど、日々の家庭生活はさほど20世紀と変わりないように思います。
 

ジャンプ傘

Jnj_9kew 「なんである、アイデアル」のテレビコマーシャルはカラーだったか
白黒だったか。家のテレビは白黒だったから分からない。そしてな
ぜかブルーのフィルターをつけてて、白黒じゃなくて青紺だった。
アポロ11号の月着陸船から送られてくる月面風景も白黒だった。
暑い日だったと記憶してる。

当時のテレビコマーシャルは画面に大きく商品名や会社名、有名タレントが商品名を連呼。
「あたり前田のクラッカー」
「来た見た買うたの喜多商店、安い!」
「た〜んた〜んた〜よ〜し〜、いくよ〜し、た〜よ〜し〜」
そして関西と云えばやはり、
「京橋は〜、ええとこだっせ、グランシャトーがおまっせ・・・」
ですか。
そして今でもフッと思い出すのがパルナス。

「ぐっと噛みしめてごらん〜、ママのあたたかい心が〜、お口の中に染み通るよ〜、パ〜ルナス、(ずんちゃっちゃ、ずんちゃっちゃ)、甘いお菓子の〜、お国〜の便り〜、おとぎの国のロ〜シア〜の、夢のおソリが運んでくれた〜、パルナス、パルナス、モスクワの味〜、パルナス、パルナス、パルナ〜ス」

とパルナスを連呼する、朝の子ども番組のコマーシャル。これが結構リーズナブル価格で、ロシアはいい国だなぁと思っておりました。ロシアで造ってるわけじゃないのに。
三宮のサンチカに一時あったんでしょうか。買いに行ったような記憶があります。会社はもう無くなっちゃったんですね。

ちょいと思い出したことを書いてしまいましたが、ジャンプ傘のコマーシャルを見た時も「すんごい発明やなぁ」とちょっと感動したりして、ジャンプ傘を持ってるのが格好よかった。20世紀の高度成長期、テレビコマーシャルで一世を風靡したアイデアルでしたが、安価な中国製の傘に押されて消滅するのだそうです。

高度成長期に先進国を追いかけていた日本。グローバル化により今や追われる立場の日本。
20世紀は「夢のまた夢」の時代だったのかも。
 

???

Cafxrruk
これは初めて見る代物。

暖房器具の一種か。
中の鉄の部分は吊り下げられていて、ゆらゆら動く。

触らないように木枠で囲っているのでしょうが、指で簡単に触れるので、露出して使用するのではなく、何かの中に入れて使ったのでありましょう。

誰か教えて。

たまっちん

02klc5ij
これは、なんでしょう?
棒のところには目盛り。

「おぉ、たまっちん」
思わず声が出る。

「たまっち〜ん」の呼び声でリアカーを引いていくおばさん。
古新聞の重さを量る、そう、天秤。
残念ながら釣鐘形の重りはない。

古新聞は何に交換したんだっけか。
5円、10円をもらったようにも思う。

そういや「毎度おなじみのちり紙交換・・・」を聞くことが無い、今日この頃。

ゆたんぽ

Tv16bs8e 板に曲線の無い、小判型。
かなり旧式です。

何処の誰からの寄贈という記録が欲しかった。

古の品々を見ていて思い出すのが、赤穂は坂越にある奥藤商事。
商事といっても商社ではなく酒造蔵。
赤穂に唯一残る蔵で、銘柄は乙女に忠臣蔵、近年は内蔵助、主税、安兵衛など。
ここの資料館に近代のレアものがぎっしり。
なかでも謂れ有るのが、因縁の櫂と桶。

雪の降る夜に玄関先で水を求める初老の旅人。
家人が奥へ水を取りにいっている間にいない。
みるとそこに酒づくりの櫂と桶が残されていた。
「これは酒造りをせよとの神の御告げ」
ということで、回船問屋だった奥藤家は酒造りを始める。
頃は・・・、忘れた。

今の時期は繁忙期ですので無理だと思いますが、少し温かくなると見学に応じてくれます。
桜の頃に裏の高台から瀬戸内海を見下ろし、一献傾けるのもなかなかの風情。

あしあぶり

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小学校に近隣のご家庭から寄贈頂いた、古の品々のひとつ。

西洋式ながら「フットウォーマー」でないところが、日本的。
ローマ字で書いてあるあたり、大正年間のものか。

燃料はやっぱり豆炭でしょうね。

Personality

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